(株)賢祥堂美術 オークション Gallery KENSYODO Auction |
*■ 林子平 ■ 手描き 蝦夷地(北海道)地図 <22051801>*
作品データ |
本紙 67cm×94cm
軸 124cm×106cm
経年による古色が加わっています。
箱は付いておりません。
「寛政の三奇人」の一人とも呼ばれる経世論者 林子平手描きの蝦夷地地図です。
現代人から見ると正確性に乏しい地形ですが、
当時の人々の認識を知る上でも貴重な史料となっています。
林子平(1738~1793)
江戸後期の経世論者。
高山彦九郎・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人とされる。
元は幕臣の子であったが、
幼少時に父が浪人となり叔父の従吾のもとで養われる。
姉は仙台藩に侍女として仕え、藩主伊達吉村の寵愛を受け側室となる。
その縁あって、叔父の従吾が仙台藩から禄を受けるようになり、
従吾の死後は子平の兄の林友諒が封を継ぎ、正式に仙台藩士となる。
それに従い子平もまた仙台藩士となる。
子平は自らの教育政策や経済政策を藩上層部に進言するが聞き入れられず、禄を返上。
北は松前から南は長崎まで全国を行脚し、長崎や江戸で学び、
大槻玄沢、宇田川玄随、桂川甫周、工藤平助らと交友する。
その見聞からロシアの脅威を説き、『三国通覧図説』『海国兵談』などを著し、
「およそ日本橋よりして欧羅巴に至る、その間一水路のみ」と喝破して、
当時の人びとを驚かせた。
『海国兵談』は海防の必要性を説く軍事書であったため、
出版に協力してくれる版元を見つけることができなかった。
そこで子平は、16巻・3分冊もの大著の版木を自ら彫り、自費出版で須原屋市兵衛から刊行した。
『海国兵談』は寛政3年(1791年)、仙台で上梓された。
しかし幕閣以外の者が幕政に容喙するのはご法度であり、両著はともに発禁処分が下され、
『海国兵談』は版木没収の処分を受けることとなった。
しかしその後も自ら書写本を作り、それがさらに書写本を生むなどして後に伝えられた。
晩年は仙台の兄友諒の許へと強制的に帰郷させられた上、蟄居に処される。
子平はその境遇を「親もなし妻なし子なし板木なし金もなければ死にたくもなし」と嘆き、
自虐として自らを「六無斎」と号した。
寛政5年6月21日(1793年7月28日)死去。享年56。
こうした不遇の晩年を送った子平であるが、
黒船来航以前より国防・軍備増強の重要性を説いた先見性、
異国の情報を積極的に取り入れる姿勢などが後に高く評価され、
現在では江戸後期を代表する奇人(「奇」は「優れた」という意味)と評されている。
※タイトル末尾の数字は管理番号です。
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商品名稱 : | ■ 林子平 ■ 手描き 蝦夷地(北海道)地図 <22051801> |
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