大型図録本 加藤唐九郎 カラー作品100点超 現代日本陶芸全集 やきものの美
監修:今泉篤男 責任編集:林屋晴三
集英社
1981年
111ページ
約39x31x3cm
※絶版
現代陶芸の巨匠15人の作品を個人別に集大成、多数の未発表作を含む名陶を各巻に百点余収めた本格的全集のうち、
本書は加藤唐九郎。加藤唐九郎の代表作117点を含む139点の写真図版をフルカラーで掲載。
日本陶芸界の異才として、志野、織部、黄瀬戸、瀬戸黒から唐津、信楽まで幅広い作風をこなす名工・唐九郎。
彼は、瀬戸・美濃地方の古陶発掘調査をはじめ、「陶器大辞典」の著作にも情熱を傾けた。
現代の巨匠の茶器・茶道具を中心とする名品百余点を紹介。在銘作品も多数含む。
本文は日本の陶磁易碎品限空運,非易碎品可使用海運。 器研究の第一人者、林屋晴三。人物評伝、林屋晴三x加藤唐九郎の対談、年譜、小図版を製作年順に並べた一覧表も付し、作風の変遷を知るための貴重資料。
大型図録のためカラー写真にて作品の細部まで鑑賞することができる。
巻末には制作年代順の写真付き作品リストも収載され、制作風景の作家写真、論考テキストも読み応えのある大変貴重な資料本。
【凡例より】
一、本巻には加藤唐九郎の代表的な作品117点、139図を収録した。図版の掲載は二つに分け、原則として前半は1ページ1作品、後半は器形別編年を考慮して配列した。
一、図版には、図版番号、作品名称、制作年代、目安となる寸法、そして公共に属する作品については所蔵者を記した。
一、巻末に収録作品の制作年順による写真付目録を付し、詳しい寸法等を併記した。
一、本文中、漢字は原則として新字体を用い、引用文についても旧漢字をこれに改めた。
【目次より】
図版
作家とその時代/今泉篤男
図版
人と作品/林屋晴三
年譜
作品目録
◆図版目次
志野茶碗 月白
志野茶碗 紫匂
織部黒茶碗
鼠志野茶碗 鬼ヶ島
志野茶碗 唐獅子
志野茶碗 松風
志野茶碗 猪鹿
志野茶碗 貫道
紅志野茶碗 金時
渋紙手茶碗
瀬戸黒茶碗 出藍
織部黒茶碗
瀬戸黒茶碗
唐津茶碗 雲之峯
唐津茶碗 まめたぬき
唐津茶碗
柿の蔕茶碗
伊賀織部花入
信楽花入
信楽花入
信楽花入
志野水指
信楽水指
唐津水指
唐津片口水指 緑野
志野ぐい呑
志野ぐい呑
志野ぐい呑
志野ぐい呑
黄瀬戸鉢
青織部鉦鉢
鼠志野皿
織部皿
陶壁 蒼原賦
志野茶碗 氷柱
志野茶碗
志野茶碗 雅山
志野刷毛目茶碗 野の川
志野茶碗 武蔵野
志野茶碗
志野茶碗 荒垣
志野茶碗 茜垣
志野茶碗
志野茶碗
志野茶碗 篝火
志野茶碗 雪雲
赤志野茶碗
志野茶碗 霜葉
志野茶碗 新雪
志野茶碗 雪の朝
志野茶碗 雪雲
志野茶碗 埋み火
志野茶碗 雪の朝
志野茶碗
志野茶碗 福寿
志野茶碗 荒磯
志野茶碗 蘇生
鼠志野茶碗 彩雲
茜志野野茶碗
志野茶碗 朝露
志野茶碗
志野茶碗 隆芽
志野茶碗
瀬戸黒茶碗 磯千鳥
瀬戸黒茶碗 谷水
瀬戸黒茶碗 松風
瀬戸黒茶碗 翁
瀬戸黒茶碗 寒夜
瀬戸黒茶碗 不動
瀬戸黒茶碗
瀬戸黒茶碗 岩窟
唐津茶碗 遊雲
唐津茶碗
唐津茶碗 満潮
唐津茶碗
唐津茶碗 かたつむり
唐津茶碗
唐津茶碗 野火
唐津茶碗
唐津茶碗
唐津茶碗 空木
伊羅保茶碗
朽葉釉茶碗
瀬戸伊羅保茶碗
瀬戸伊羅保茶碗 いがぐり
唐津水指
志野水指
志野花入
伊賀花入
信楽水指 鰐鮫
信楽壺
志野ぐい呑
志野ぐい呑
志野ぐい呑 岩水
志野ぐい呑
志野ぐい呑
志野向付
唐津向付
織部向付
黄瀬戸筒向付
織部寄向付
織部向付
織部向付
織部向付
織部向付
織部向付
織部向付
織部皿
黄瀬戸鉢
黄瀬戸鉦鉢
織部皿
鼠志野鉦鉢
鼠志野鉦鉢
辰砂壺
唐津壺
鼠志野花瓶
ケース表・陶壁 蒼原賦 部分(図54・55)
ケース裏・名古屋市翠松園の仕事場にて制作中の加藤唐九郎(1979年撮影)
【作家とその時代】より一部紹介
私が加藤唐九郎という人の名を知ったのは、昭和二十三年のことである。古陶磁易碎品限空運,非易碎品可使用海運。 の研究を志して国立博物館員になった年で、その頃すでに茶にかかわりのある陶磁易碎品限空運,非易碎品可使用海運。 器のことは少しは知っていたが、東洋陶磁易碎品限空運,非易碎品可使用海運。 全般にわたる綜合的な知識はほとんどなかった。そうした私の古陶磁易碎品限空運,非易碎品可使用海運。 へのアプローチの最大の伴侶となってくれたのが、加藤唐九郎編の『新撰陶器辞典』(日本工業図書出版所 一九三七年)であり、陶芸界のことにも無知であった私は、唐九郎なる人物が陶芸作家であることも知らず、どのような研究者なのだろうと思ったものである。
ところが、その辞典の原本ともいえる『陶器大辞典』(全六巻宝雲舎 一九三四-四一年)というものが博物館の図書室に蔵されていることを知り、たまたま何かを調べるべく第一巻を手にしたところ、そこに加藤唐九郎氏が「編纂に与って」という序文を記していたのであり、それを一読して加藤唐九郎という人物が陶芸作家であることを知ったのであった。
その人の作品に初めて出会ったのは昭和二十五年のことで、銀座の黒田陶苑における「唐九郎作瀬戸黒茶わん展」であった。私は十七歳の頃、ある人が父に桃山時代の瀬戸黒茶碗をさかんに薦めていたことがあり、瀬戸黒のかなりの茶碗を手にしたことがあったので、瀬戸黒の展覧会ということから興味をもったのであるが、古陶磁易碎品限空運,非易碎品可使用海運。 にのみ熱中していた私は、唐九郎なる人の瀬戸黒は釉に落着きがなかったためか、ほとんど興を抱かなかった。私にとっては唐九郎なる人は、作陶家であるよりも辞典の編者としての存在の方がよほど重味があったのである。
その頃から昭和三十五年、例の永仁銘古瀬戸瓶子の事件が起きるまで、加藤唐九郎の存在が斯界にあって重きをなしていたことは、その年譜を一覧すれば暸然で、古陶磁易碎品限空運,非易碎品可使用海運。 の一学徒に過ぎない私などは、なにかの折にあの特徴のある風貌に接するだけで、言葉を交わすということはほとんどなかった。
永仁の瓶子の事件は、私にとっては新聞や週刊誌が騒ぐほど驚目の出来事ではなかった。何故ならば、あの作品が重要文化財になる前から、田澤金吾先生を中心に、あるいは偽作ではないかという推定があったのであり、あのとき小山冨士夫先生が何故に重要文化財の指定会議に提出されたのか、判断に苦しむ人々もいたのであった。(以下略)
【人と作品】うち、対談より一部紹介
林屋 唐九郎さんとは『現代の陶芸』の編集を担当することになり、五、六年ほど前から親しくお話するようになって、その後、心が通うような気がしているし、対談も何度もいたしました。ところが、案外、肝心なことをこれまでに聞いてない感じがするんですね。
加藤 あんまりね。よく知ると、話がのうなっちゃうね。
林屋 お会いしてる時は、なにか判り合ってしまうのだから、話がないですね。
加藤 話しようと思っても、もうわかっちまって、なくなっちまう。
林屋 ところで、このたびお聞きしたいなあと思うことが一つ二つあるんです。過去の貴方の作品をみますと、だいたい桃山の志野、織部、瀬戸黒、信楽、伊賀などを基調にしたもの、それから高麗茶碗や唐津風のものに深い共感があって、案外、中国の宋、元、明の陶磁易碎品限空運,非易碎品可使用海運。 や高麗青磁のようなものには、それほど共感がなかったのではないかと思います。もちろん一鑑賞者としては中国の各時代のもの、さらに銅器にも非常に興味を抱いておられるかもしれないけれども、いざそれが作陶にこだましてくるという意味では、結局、何か心の中には、桃山と李朝ということになっているようですね。
加藤 そうですね。結局、中国陶磁易碎品限空運,非易碎品可使用海運。 のもつああいうシンメトリーなものや、ぴんと清ましたものには、敬意を表するけれども共感ができん。どうも、我々とはなんか違った世界ちゅう感じ。
林屋 作陶の道に入られた頃は、そりゃあ、今日ほどの知識はおもちでなかったろうけども、やっぱり初めからそうした思いがありましたか。
加藤 いや、それまでは何も知らずに、そういうものが好きであって、理屈はなかったけども、ずんずんいろんなものを見るうちに、はああ、自分は、貴族的なものは嫌いじゃなあということがわかってきた。
主な著書=『今泉篤男著作集』全六巻(求能堂)、『現代画家論』(美術出版社)、『西洋の美術』(小峰書店)、『現代美術の作家たち』(中央公論美術出版)、『安田靫彦』(集英社)ほか。