1926年、グラスヒュッテでは、エルンスト・クルツ博士が、「時計産業の未来は腕時計にある」というアイデアの下、第一次世界大戦敗戦後の混乱から荒廃していたグラスヒュッテの町を復興させようとしていました。
TUTIMAの歴史は、そのクルツ博士が中心となって、1927年、ドイツムーブメント製造会社グラスヒュッテ UROFA社(Uhren-Rohwerke-Fabrik Glashtte AG) と、グラスヒュッテ時計会社 UFAG社(Uhrenfabrik Glashtte AG) という2つの会社が創業された頃と考えられます。
UROFA社で製造された最高品質の腕時計には、ラテン語で「 安全な、守られた 」という意味の形容詞 tutus に由来する TUTIMA のラベルを与えました。TUTIMA は UROFA社で作られた製品グレードの中で最高品質を示す名称でした。この時 TUTIMA ブランドが誕生しました。
1930年代には、両社を含むグラスヒュッテの時計産業コンツェルンは、グラスヒュッテに1,000人規模の雇用を創出するなど大きな成功を納めるようになりました。当時グラスヒュッテの時計産業は最盛期を迎えていました。
1941年リリースの、フライバック機能を備えたクロノグラフキャリバー UROFA Cal.59 を搭載したフリーガー・クロノグラフは、ドイツにおけるパイロットウォッチの歴史とともに TUTIMA のシンボルとなりました。
現代の TUTIMA グランド・フリーガー・コレクションは、この歴史的傑作パイロットウォッチの系統に連なるものです。
第2次世界大戦は、クルツ博士が創設した2つの工場を含め、TUTIMAに関するすべてを破壊しました。
グラスヒュッテの町は壊滅状態にあり、追い討ちをかけるように、1945年に発足した東ドイツ政府がグラスヒュッテの時計メーカーの設備を接収し、国営グラスヒュッテ時計工場( Glashtter Uhrenbetrieb GmbH )を設立してしまいました。
ちなみに、この工場は東西ドイツ統合後に、 グラスヒュッテオリジナル というブランドになりました。
ランゲアンドゾーネは、1990年に当時のドイツ鉄鋼大手、VDOマネンスマングループがブランド使用権を取得し、傘下のLHM グループ代表ギュンター・ブリュームラインのディレクションの下、IWCとジャガールクルトによって再興されたブランドになります。
1945年、ドイツ軍に軍用時計を納入していたクルツ博士は、戦争犯罪認定を恐れ、グラスヒュッテからアメリカの占領地域にあった南ドイツのバイエルン州メンメルスドルフに逃れ、「クルツ時計会社」を設立しました。
1951年には、西部ニーダーザクセン州ブレーメン近郊の ガンダーケッセ に拠点を移しました。
1954年、現 TUTIMA オーナーの ディーター・デレケイト氏 は 19歳で クルツ時計会社 に入社しました。
1956年、クルツ博士が経営から退き、ヴェルナー・ポーラン氏の下で NUROFA( Norddeutsche Uhrenrohwerkefabrik )が立ち上げられ、同時に販売会社として TUTIMA が設立されました。
1959年に NUROFA は、再び UROFA に改名し、クルツ博士が会社の経営に復帰しました。
UROFA はひたすら高品質な腕時計を製造していましたが、当時、ドイツにおける時計製造の中心は、南部のフォルツハイムに移っていました。高級時計を作っていたクルツ時計会社は価格競争に敗れ、経営難から操業を停止しました。
1959年に NUROFA社 を退職していたディーター・デレケイト氏は、クルツ博士の遺産を遺すため、TUTIMA のブランド名を復活させることを決意、1960年、TUTIMA のブランド使用権を取得、クルツ時計会社時代の技術スタッフを呼び戻し、ガンダーケッセの地でディーター・デレケイト時計製造会社( Diter Delecate Uhren fabikation )を設立、ブランド名として TUTIMA を復活させました。
当初は、10人程度の技術者が時計を組み立てることで、最初に女性用、次に紳士用の時計を TUTIMAブランドで販売。低価格のクォーツ時計で価格競争が激しくなる中、当時ケースのOEM生産を請け負っていた香港のサプライヤーを買収して、1979年には香港に独自のクォーツ時計会社、チュチマ香港( TUTIMA Hong Kong Ltd. )を設立、他社ムーブメントを採用した時計製造と販売部門は継続して、1970年代に起こったクォーツ危機を乗り越えました。
1983年、Diter Delecate Uhrenfabikation は、社名をTUTIMA( TUTIMA Uhrenfabrik GmbH )に変更しました。
1985年、ドイツ連邦軍は空軍のための公式クロノグラフウォッチの入札をドイツの時計会社へ打診しました。
軍はクォーツ時計のバッテリ國際運送規定電池為危險物品,無法運送,購買後會幫您取出丟棄。ーの持続性を不安視していたため、ムーブメントにはクォーツではなく、機械式を採用することが条件だったとされています。テストの結果、スイス製 LEMANIA 5100を搭載した TUTIMA ミリタリーパイロットクロノグラフ Ref.798は、コクピット内での操作性を考慮して凹凸をなくし、グローブの上からでも操作しやすいように設計された大型のプッシュボタンの操作性も高く評価され、制式採用されました。
これを機にデレケイト氏は、ミリタリーパイロットクロノグラフやダイバーズウオッチなどの堅牢で実用的なコレクションを主軸に TUTIMA を展開しました。
1987年には、NATO軍にも TUTIMA のクロノグラフが制式採用されています。
1989年、ベルリンの壁崩壊で東西ドイツが統合されたことを受けて、デレケイト氏は、グラスヒュッテに本拠を移すことを決意しました。
2008年、TUTIMA Glashtte / SA. へ社名変更を実施、現在は、自社製ムーブメントを含め、「グラスヒュッテ規格」の下時計を製造しています。
このように、ブランドのヘリテイジ、ミリタリーパイロットクロノグラフのオリジンを継承する時計メーカーが TUTIMA です。
当商品は、2005年頃「グラスヒュッテ企画」前ガンダーケッセが本拠地の時代、当時日本総輸入代理店であった ピーエックス株式会社 が輸入した、限定モデル 、ミリタリーパイロットクロノグラフ T 「ミッションタイマー」 Ref.760-32 になります。
限定数が少なかったこともあり、資料も
少ないモデルですが、センター・クロノグラフ (分・秒積算針 )針の形状や、針の塗装はオレンジからルミノバ夜光へ変更され、ミッションタイマーとして、オリジナルのレファレンスナンバーが与えられた限定モデルになります。
この度、オーバーホールを実施しながら、アッパーケースを回転ベゼル付きの純正部品 TL Ref.750-02 タイプ新品に変更した商品となります。元の Ref.760-32 のケース部品も付属します。