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Funbid - 海外代標代購第一品牌
JDirectItems Auction 鐘錶、飾物 女性飾品 墜飾 有色寶石丶彩石 琥珀
【定価9,000円・川口鼈甲店】新品 琥珀 K18冠 ペンダントチャーム  

  • 商品數量
    1
  • 起標價格
    100円
  • 最高出價者
    BAR SAM / 評価:517
  • 開始時間
    2025年07月27日 21時26分(香港時間)
  • 結束時間
    2025年08月03日 21時29分(香港時間)
  • 拍賣編號
    j1194241151
  • 商品新舊
    新品
  • 自動延長
  • 認証限制
    有(說明)
  • 提前結束
  • 可否退貨
  • 商品說明
  • 問與答()
  • 費用試算
  • 問題商品反映流程
注意事項
  1. ※請確認是否玳瑁、鼈甲、龜甲製品。玳瑁、鼈甲、龜甲製品屬於華盛頓條約条約牴觸物品,無法國際運送。
    象牙製品屬於華盛頓條約条約牴觸物品,無法國際運送,且無法日本寄送日本,因此無法購買。
  2. 請注意日本當地運費,確認後再進行下標。
google 翻譯僅供參考,詳細問題說明請使用商品問與答
ご覧いただきありがとうございます。
わたくしどものお店の創業は明治14年(1881年)でございます。
創業から数えて143年になります。
当店は長崎市浜町で鼈甲製品の専門店として営業させて頂いてまいりました。
2001年に4代目店主であるわたくしが過労で倒れ意識が戻ったときには
腎臓が壊れてしまっていて人工透析を導入されていましたので
気力・体力の充実を図れなくなった自分にはお店の維持は無理であると判断して
鼈甲の専門店を閉店致しました。
クレジットカード会社.日本ダイナースクラブ勤務で退職後に東京から軽井沢へ移住した友人から
”天井のないホスピタル”といわれている信州浅間高原の小さな田舎町での転地療養を勧められ
2002年に長野県北佐久郡軽井沢町に転居
体調の好転に伴い 夏の間だけ避暑地軽井沢の老舗ホテルで“Nagasaki Presents.長崎からの贈り物”というコンセプトで小さな展示会をさせて頂いてまいりました。
しかし年齢とともに会場の設営や撤去が体力的に厳しくなってまいりましたので
2006年をもってお客様への対面販売を終了致しました。

1994年にワシントン条約で鼈甲の原材料である玳瑁(タイマイ)亀の輸入が禁止されてしまいました。
玳瑁はすべて赤道直下の国々からの輸入品です。
そのため鼈甲職人が備蓄しております玳瑁を使いきってしまったところで
そう遠くない将来 鼈甲は日本国内の店頭から姿を消してしまう希少価値のある逸品です。
わたくしごとですが
わたくしどもには子供がいませんので 当店はわたくしの代で鼈甲販売を終了致します。
4代続いた川口鼈甲店としての終焉を迎えるにあたり
このままわたくしが商品を保管し続けておしまいにすることは良くないのではないか
と思うようになりました
それで手元にございます商品をわたくしどもが考えております製造原価プラスαという価格設定で
Yahoo!ショッピングや楽天市場で販売させて頂くことではなくて
鼈甲のアクセサリーを末永くご愛用していただける方々が
ご納得して頂けるお値段でお買い上げくださることが良いのではないかという主旨で
安価なお値段でYahoo!オークションに出品させて頂くことに致しました。

1990年.銅版画家の山本容子さんに包装紙の原画をお願いしました。
「鼈甲は単一の色彩ではなくていくつもの模様が幾重にも重なり合っていて
宙に浮いているような不思議な柄の重なりと透明感がある
この立体感は絵の具と筆でカンバスに描くことはできない
写真に写し込むこともできない
手にとって翳したときに見えてくる
それが鼈甲の魅力だと思う」
と言われました。

1998年.作家の永六輔氏が長崎でわたくしどもの鼈甲製品をご覧になったときの第一声は
「僕が知っている鼈甲はこんなに綺麗ではなかった
 鼈甲って こんなに綺麗なんだ
 こんなに綺麗なものをつくれる技術を
 輸入禁止にしておしまいにするのはおかしい. 間違ってる
 今日 川口さんを訪ねて 長崎に来てよかった
 鼈甲 大事にしましょう」
でした。
”べっ甲の色は海が育てた生命(いのち)の色です”
というコピーを後日お手紙でいただきました。
TBS.NHK.毎日新聞.週刊朝日のコラム.講演会, そしてご自分の著書を介して
鼈甲のことを発信してくださいました。 

医師や弁護士・上場企業の管理職の方々にしかカードを発行しないという高級志向を貫いていた頃の
クレジットカード会社の元祖 日本ダイナースクラブで
高級路線のイメージ戦略を担っていた広報の松井久氏と親しくお付き合いをさせて頂いていました。
わたくしより15歳年上の方でした。
お会いする度に厳しく叱咤激励を浴びせてくださいました。
若い頃のわたくしにとってはすべてを見透かされている怖い存在で緊張の連続でした。
「君は自分のことを素朴な田舎者だと思っているだろう。
 でも それは間違っている。
 君は上品さや教養を持ち合わせていない粗野な田舎者なんだ。
 高価な鼈甲のアクセサリーを販売するお店の店主になりたいのであれば
 教養を身につけなければいけない。
 美しいもの 素晴らしいものを自分の目で見て知ることからはじめなければいけない」
という口調でした。
その松井氏との酒席でひとつだけお褒めの言葉を頂いたことがあります。
「君のお店に飾ってある鯛の菓子入れ
 君のおじいさんが昭和天皇にご覧いただくためにつくったもの
 つくりての魂を感じる
 海を泳いでいる鯛が神様の力で一瞬にして鼈甲になった
 ギリシャ神話に出てくる 神様の魔法で人が石になってしまう
 そういう物語を連想してしまう不思議な力を感じる。
 花鳥風月の美しさを小さな世界のなかに忠実に描写する
 工芸技術という世界の奥の深さを僕は初めて知った」

1969年(昭和44年) 長崎国体御出席のためご来県される昭和天皇の当店へのお立ち寄りというお話を
大正時代から宮内省各宮家へのお出入りを許されていたという繋がりで 
宮内庁から長崎県庁を経由して直々にいただいたとき
祖父は悩み抜いた末に
「陛下を長崎浜町商店街のなかにお招きするということは 警備のためにアーケード街一帯を一日閉鎖することになる。
 そうなると商店街の店々に多大な迷惑をかけてしまう。
 百貨店2軒を含めて150店すべてのお店の一日の売上を迷惑料として保証する余力はない」
という理由で辞退したのだそうです。
そういう経緯がございましたので 昭和天皇は江崎べっ甲店へお立ち寄りになられました。
その代わりに長崎県庁の応接室で陛下にご覧いただくための置物 「鯛の菓子入れ」 をおつくりしました。
この事実は祖父が同業者のなかでいちばん親交の深かった垣立忠雄氏から祖父の忌明け法要の酒席で伺いました。
「当時 君のおじいさんは お酒の席で寂しそうな顔をして
 『ほんとうは陛下にいらしていただきたかった。
  でも 自分の名誉と周りの人達への迷惑を天秤にかけたとき どうしてもできなかった。
  苦渋の決断だった … 』  
 と呟いていた。
 いまの若い人たちにはわからないと思うけど
 僕や君のおじいさんが若い頃は 家の仏壇や神棚に天皇陛下の御写真が飾ってあって
 その御写真に向かって毎朝礼拝していた。
 天皇陛下は神様だった」
後日 祖父は皇居で昭和天皇とご拝謁 数分間お話をさせていただくという名誉を賜わりました。
会話の最後に
「健康で永く生きて 素晴らしい鼈甲をつくり 後世に遺してくれることを 朕は希望します。お元気で … 」
という御言葉を賜わったそうです。
祖父は無口で一日じゅううほとんど口を利かない人でしたが
晩酌のときには別人のように饒舌になり 多種多彩な話題について広く深く語っていました。
しかしこの一連の出来事をわたくしには一言も口にしませんでした。
後日)祖母から
「陛下とのお約束があるから元気にならなければ。
 陛下より若い自分が陛下よりさきに逝くわけにはいかない」
と亡くなる前日まで自分を奮い立たせるように小さな声で言っていたことを聞かされました。
商品をおつくりするとき一切の妥協を許さない という他を寄せ付けない厳しい眼光の奥には
陛下との御約束を守らなければいけないという信念があったのだろうと思います。

劣勢な状況下で最後尾の箇所を担う大役を 殿 (しんがり) といいます。
わたくしに務まることではないということを踏まえつつ
一人でも多くの方々に接着剤ではなくて水と熱と圧力を駆使しておつくりした鼈甲に触れていただきたい
という思いで商品をご紹介させていただいております。


営業許可免許
特定国際種事業者(象牙・タイマイ類等販売免許) 事業者番号 B-196 

川口鼈甲店ホームページ   http://kawaguchi-bekkou.sakura.ne.jp/index.html



琥珀 ペンダント
縦 約1.3センチ(冠除く 最大部)
縦 約2.1センチ(冠含む 最大部)
横 約1.2センチ(最大部)
厚さ 約1.2センチ(最厚部)
冠 K18

コロンとしたドロップ型の琥珀のペンダントチャームでございます。
濁りのない透き通った紅茶色をしています。
中に包み込まれた木の葉が光を取り込んで
きらきらとした光沢を放ちます。
厚くおつくりしていますのでお付けいただきました時に
デコルテでの揺らめきが美しく華やかさを添える逸品でございます。
夏は安価なプラスティック製のアクセサリーが数多く
お店に並ぶ季節です。
本物が持つシックで上品な輝きは
バカンスのときにもデイリーユースのときにも
エレガントなひとときを演出してくれるかと存じます。



琥珀のアクセサリーはわたくしの祖父が東京の百貨店での販売を手掛けたことで
日本国内で広く認知されるようになったものでございます。
そういういきさつがございますので
長崎市浜町アーケード街・浜屋百貨店そばでべっ甲の専門店をさせていただいていた頃
さりげなく 少しだけ それこそどこに出しても恥ずかしくない
きれいなものだけを展示販売してまいりました。
そのむかし 日本では琥珀はあまり知られていませんでした。
祖父が発起人になって東京で設立した長崎鼈甲株式会社が
首都圏の百貨店の1階アクセサリー貴金属売り場で
鼈甲製品を販売させていただくようになり
べっ甲の横に琥珀のアクセサリーを並べて販売してまいりました。
昭和32年から40年代のお話でございます。
昭和45年 父が37歳で病死したことで 気落ちした祖父は
東京赤坂 (うなぎの宮川本廛隣) にございました長崎鼈甲株式会社の社長職を現場の社員に譲り第一線を退きました。
そしてその流れは現在岩手県久慈市 久慈琥珀博物館 に受け継がれています。
詳しい経緯はわたくしどものホームページに記載させていただいております。
川口繁蔵 苦難の道を開拓



この商品は法人契約業者専用ヤマト運輸貴重品VIP扱いで発送させていただきます。


【送料無料 (当店負担) 発送方法のご案内】
2016年の4月から個別の販売を終了して Yahooオークションのみの販売をさせて頂いています。
出品をはじめるにあたり
「わたくしどもの鼈甲製品を入札してくださる方はどなたもいらっしゃらないのではないか」
という不安がありました。
それから2年半 169点 (2018年9月10日現在) の商品を出品させていただきました。
入札に際してたくさんの方々に参加して頂きました。
定価を超える金額で落札して頂けることが増えてまいりました。
北海道や九州沖縄県の方には高額の送料をご負担頂いています。
実店舗での定価販売を常としてまいりましたわたくしにとっては
申し訳ないような複雑な思いがございます。
定価を超える金額で落札してくださった方の送料と遠方の方の送料の一部を
わたくしどもで負担させていただこうかと迷いました。
しかし それも違うような気が致しました。
それで 2018年9月11日以降に落札してくださった方の送料はすべて
わたくしどもで負担させて頂くことに致しました。
落札金額が10,000円未満の場合は郵便局の定形外郵便
10,000円を超える商品はヤマト運輸のVIP扱いでお送り致します。

    宅急便VIP扱いについて
    VIP配送は配達の際 車中では専用の鍵のかかるケースに入れて管理され、
    お届けの際にはお客様にフルネーム確認をしています。
    また必ず社員であるSDが取扱い アルバイトや委託業者の取扱いはされていません。
    お受け取りの際には必ず認印かフルネームでのサインが必要です。
    (ヤマト運輸さんは個人のお客様からのVIP扱いでの発送は行っていません)


【商品の出品サイクルについて】
2019年 4月 15日 クローバーのペンダント出品の際にいただいたご質問の転載です。
クローバーの髪留めとのコメントがありましたが、 ヤフオクにお出しになりましたでしょうか?
ご質問 ありがとうございます。 クローバーの髪留めは2017年3月20日に出品させていただいております。わたくしどもの手元に数点の在庫がございます。出品時期はわかりませんが数年後の春に再び出品させて頂くことになると思います。商品の種類がたくさんございますので同じデザインの商品は数年に一度という頻度で出品致しております。
回答頂きありがとうございます。 数年かかるのですか、残念です。
ご希望に添えず申し訳ございません。
出品致しております商品の手持ちの在庫がこの一点でおしまいになるときはその旨を明記させていただいております。

同じデザインの商品が何点か手元にございますときには何も記載いたしておりません。
同じデザインの商品が重複しないように心がけていますので数年おきの頻度で出品させて頂いております。 



 

長崎市にお住まいの方から鼈甲製品の修理についてのご質問を頂きましたので
質問と回答を原文のまま記載させて頂きます。
 
質問   
長崎市民です。とても懐かしく、また閉店を残念に思っておりました。
購入後に使用していく中、割れ・カケなどできた場合の修理など、どんな感じになりますか?
宜しくお願い致します。(2016年10月 6日 12時 41分)
  
 
回答   
ご質問ありがとうございます。回答欄は全角300文字以内という字数制限が設けられていて 300文字以内ではうまくお伝えできない内容ですので 字数制限のない商品説明の最下部に回答を追加記載させて頂きます。
 
わたくしは職人ではございません。
長崎でお店をさせて頂いておりました頃は職人を抱えていましたので修理をさせて頂いていました。
しかし現在は職人を雇用していませんので修理をする術がございません。
商品の修理は造り手と同等もしくはそれ以上の腕のいい職人の手に委ねないとうまくできません。
腕の良くない職人の手にかかりますと
どんなにすぐれた製品であっても不格好で悲惨なものになってしまいます。
幼児の工作のようなハリボテになってしまいます。
鼈甲製品は二つに割れたりヒビがはいってしまっても
水.卵白.熱.圧力を駆使することで接着部分がまったくわからない
新品の状態まで変幻自在に復元することができます。
しかし腕の良くない職人ですと接着部分が微妙にわかってしまうできあがりになります。
光沢がなくなってきた商品も磨き直しをすることでご購入時と同じ状態になります。
しかし腕の良くない職人ですと表面を必要以上に削ってしまい
薄っぺらで小さなデザインが崩れておかしなものになります。
わたくしの手元にあります商品は鼈甲業に勢いがあったときの腕のいい職人によるものばかりです。
鼈甲業は原材料の輸入禁止以前に入手した材料が尽きたところでおしまいです。
ほんの一握りの腕のいい職人は高齢で廃業していき息子さんにはあとを継がせていません。
長崎市浜町アーケード街.浜屋百貨店そばで鼈甲の専門店をいたしておりましたころは
他の鼈甲店の商品であってもすべての修理をお受けして
新品と遜色ないところまでの完璧な修理をお受けしていました。
わたくしの知る限り わたくしどもの商品を完璧に修理できる腕のいい職人は
日本国内には現存しないと思われます。
お使い頂いた後には必ず柔らかい布で拭いていただき
傷ついたりくもったりしないよう大切にお使い頂ければと
切望しています。
  
質問者様からのお返事   
ご丁寧に回答頂きありがとうございます。
以前川口鼈甲さんの前を通るたび、いつか落ち着いた大人になって持ちたいな・・・
と憧れていました。
いざ大人になってみると、浜町の素敵なお店がどんどん閉店し、
鼈甲も以前に比べ、大変貴重で、職人さんも減ってしまったようで、
大切にするしかないのですね。
参考にします。
 
2005年11月に長崎に住む男性の友人からメールを貰いました。
立山町旧知事公舎・美術館跡地に歴史文化博物館がオープン致しました。
そのセレモニーに「龍踊り」(諏訪神社秋祭の奉納踊)で娘と家内も参加しました。
セレモニー終了後、一般公開前に館内を見学していた所、鼈甲工房が常設されておりました。
店内を覗いていたところ家内が身に着けていた川口鼈甲店で購入したブローチ、イヤリング、ペンダントに
職人さんの目が留まり
「良いものを持っていらっしゃいますね」
と言われました。
「主人の友達の川口鼈甲店で買ったんですよ」
「川口はいい商品を売ってたから。いまはこれだけの商品は手に入らないので大事に使ってくださいね」
その会話を聞いていて嬉しい気持ちになりました。
そして 「川口にメールで報告しとかんば…」
と思ったのでメールでご連絡いたします。
 
2017年 秋.長崎に住む女性の友人からメールを貰いました。
オークションの商品 楽しみに見ています。
今回の簪も粋な感じで、女性なら誰しも憧れる逸品ですね。
(元の価格が安すぎのような~もっと高くでいいのでは??)
手鏡も素晴らしいです。
(べっ甲の手鏡初めて見ました)
川口さんの商品.贔屓目かもしれないけど他の出品とは何かが違う
別格です。
何気なく鼈甲屋さんにはいって商品を見回してみたけど
川口さんのオークションの商品のほうがなんかきれい….
前に出品していたきれいな飴色一色の銭龜さんどこにもいませんでしたよ。
オークションで落札できた人は幸せだと思います。
長崎で同じものを買おうとしても無いですから。


【専門店としての品格】
長崎市浜町アーケード街・浜屋百貨店そばでべっ甲の専門店をさせていただいていた頃
「鼈甲の簪を買うために東京から来ました」
と仰って来店してくださるお客様が1年に数名いらっしゃいました。
「綺麗な簪がこれだけたくさん並んでいると圧巻ですね。
 東京にはこれだけ質量ともに充実しているお店はない。
 飛行機代を払って長崎まで来てよかった」
という身に余るお言葉を掛けていただいていました。
そのむかし 祖父はお客様お一人お一人に合わせてご要望を伺いながらデザインを描き
オーダーメイドの簪をおつくりしていました。
そういう経緯がございましたので
お店のメインスペースには売れ筋商品である洋装のアクセサリーではなくて
櫛笄をお並べしていました。
メインスペースに売れるものを並べるのはお土産屋さんの流儀
自信を持ってお買い上げいただきたい商品をメインスペースにお並べするのが専門店の品格
という位置づけでした。

 

【経営理念】
創業者が会社の創業に託した想いや価値観.存在理由や目的
企業や会社は何のためにどの方向に向かうのか
社会的責任をどのように果たしていくのか
その指針を明文化したものを基本理念や経営理念といいます。
判断に迷ったとき 経営理念があるからこそ 間違えないで正しい方向に進むことができる。
それは小さな個人商店には無縁のものと思っていました、

わたくしの父は1970年(昭和45年) 37歳で病死しました。
2019年11月 古い書類を整理していて父が愛用していた大型サイズの手帳を見つけました。
手帳の最初のページに力強い筆跡で以下の文章が書いてありました。

 世界の企業 ダイムラー、ベンツ (西ドイツ)
 性能を売る会社
 技術者精神に徹する。
 伝統とは厳しさを伴うもの。
 鼈甲の川口は明治十四年の創業.鼈甲ひとすじの暖簾に七拾有余年の伝統があります。
 しかし ただ暖簾の古さのみを自慢にはしません。
 それよりもこの長い間 最上の鼈甲だけを扱ってきたことに誇りを持っております。
 川口に来て頂ければ ほかでは求められない 本当の気品をもつ鼈甲を取り揃えております。
  
わたくしのお仕事に対する基本的な考えがそのまま綴られていることにびっくりいたしました。
お仕事を通して出会った人達から厳しい指摘を受けてきたことで身についた価値観
父や祖父とは違うと信じて疑いませんでした。
しかし それは間違っていました。
創業者である曽祖父が祖父に伝え
祖父が父に伝え
父が母に伝え
創業から百四十年 継承してきた揺るがない不変の価値観であることをはじめて知りました。
日本の西の果ての 小さな個人商店に 
基本理念 (経営理念) がありました。
父が急逝したのは1970年11月
奇しくも 父の五十回忌の出来事でございます。


【文化の華】
長崎市浜町アーケード街・浜屋百貨店そばでべっ甲の専門店をさせていただいていた頃
べっ甲製品の磨き直しをお受けしていました。
その際 他のべっ甲店でお買いになった商品の磨き直しもお受けしていました。
そしておしゃれなデザインの他店の商品の磨き直しをするとき
わたくしの母は職方に
「このデザイン とてもいいから うちでもつくろう
 磨き直しができたら型取りをしてすぐにつくれるよう準備をしておくように」
と命じていました。
「使い込んだべっ甲製品の磨き直しをしてずっと使い続けたい」
とお客様がお考えになられる商品はデザインが素晴らしいということ
だったらうちでもつくらなきゃ。
という軽い発想でした。
そして実際に商品を制作するとき 母は職方に
「厚さはこの見本(お客様が磨き直しにお持ちになったもの)の2倍 
 べっ甲の模様は見本よりあめ色が多い原材料を使って
 流れるあめ色の模様が真ん中より少し右上にうまくはいるようにして
 原材料はインド洋のものではなくてカリブ海の … の背甲 ダメ生地は …」
と細かな指示を出していました。
数日後に商品が出来上がってきました。
お客様からお預かりしている見本より
ボリュームがあって 色もきれいで 数段グレードアップしていました。
母はご満悦の笑顔でした。
店頭に並べました。
べっ甲のアクセサリーをいくつもお持ちの当店をご贔屓にしてくださっているお客様が
買ってくださいました。

わたくしは 母のそういう節操のない 
他の職人が考えたデザインの上前をはねるようなやり方は好きではありませんでした。
しかし そういう経緯を経て出来上がった商品はお客様の評価がとてもいい
実績が伴っているので文句は言えない と我慢していました。

1996年10月27日 金沢職人大学校の開講式にお邪魔させていただきました。
基調講演のためにいらしていた永六輔さんと会場でお話をいたしました。
「うちの母はやり方がせこいというか汚い …」
とわたくしの意見を吐き出しました。
永さんは 賛同してくださると思っていました。
しかし 叱られてしまいました。
「あの人のいいところを学びましょう。
 この人の良いところを受け入れましょう。
 その人の素晴らしい考え方を模倣して自分のものにしましょう。
 周りの人たちのいいところを全部受け入れて自分のものにしてより良いかたちに進化させていく
 それが 文化 というもの
 自分が一番というところから周りを見ていても 何も見えてこないでしょう。
 自分のほうが優れているという最初に答ありき で相手を見ていると自分の世界観が小さくなっていくばかりでしょう。
 川口の考え方 わからないでもないけど その考えを捨てなければ
 ただ頑固なだけのつまらない人間になってしまうよ。
 お店の店主が柔軟な心で周りの人のよいところを真似して学んで自分のモノにしていく
 そういう姿勢で生きていくとき
 お客様はそのお店にはいって 文化の香りを感じることができる
 このお店 ほかのお店とは何かが違う
 そう感じるのだと思う。
 そして そういう文化を感じることのできる古い暖簾のことを
 世間は老舗と呼ぶんじゃないかな。
 だから 自分のお店のことを店主が自ら老舗といっちゃダメなんですよ。
 老舗かどうかは世間が決めるもの
 ご母堂様 (永さんはわたくしの母をいつもこう呼んでいました) の
 お仕事と向き合う姿は 文化を根付かせようとする力強い姿
 文化の華 ということ 、花ではないよ、華  ‥…」
 
わたくしは納得がいきませんでしたが永さんに反論することもできませんでした。
それから四半世紀の歳月が流れました。
わたくしはあの頃の永六輔さんや母の年齢に近くなってきました。
そして やっと あのときの永さんや母の心境がわかってきたような気がしています。

【包装紙を巡るお話】
祖父から折に触れて言い聞かされてきた言葉があります。
「東京の人たちは大切な方へ何かを贈るとき
 わざわざ電車に乗って時間をかけて日本橋三越まで出向いて購入する。
 近くのお店で売っているものであっても三越の包装紙に包んであることに意味がある
 優良品しか扱わない三越のお眼鏡にかなった厳選された逸品をお送りしなければ
 先様に対して失礼になる ということ。
 うちは鼈甲業において世間様からそういう評価をしていただけるようにならなければいけない
 という思いを込めて三越百貨店と同じように紙をたくさん使う三つ折りの包み方を続けてきた。
 包装紙をただの包み紙だと思ってはいけない。
 お店にとって包装紙はいちばん大切なものだから」

 「石丸文行堂(当店の向かい側の文具店)には頭が良くて絵が好きな東京の美術大学に通う息子さんがいらして
 学徒出陣で出征したまま帰らぬ人になってしまった。
 うちの包装紙は その息子さんに描いてもらったもの。
 何度も描き直しながら心をこめて描画してくれた。
 彼が遺してくれたものを大切に使っていくことが彼に対する川口としての礼儀
 包装紙のデザインを描いてくれた人の思いに恥じるようなものを売ってはいけない。
 売れるものであれば何でも売る というお店になってはいけない」

当時 20歳代前半のわたくしは
「たかだか包装紙 そんな大げさな」 と思っていましたが
祖父母や父に対してデスマス調の敬語で話すように
物心ついた頃から母に厳しくしつけられてきましたので
鬼より怖い祖父に意見することはできませんでした。
しかし多くの お客様から
「この黄色の包装紙 見覚えがある。
 長崎出身の知り合いからもらった鼈甲がこの包装紙だった。
  『眼鏡橋やグラバー園.平和公園 観光地にあるお土産屋さんの鼈甲店に行くと
   2~3人のおばさん販売員に取り囲まれて無理やり買わされることになるよ。
   鼈甲を買うんだったら 面倒だけど 浜町まで足を伸ばしたほうがいい』
  と言われたので訪ねてきました」
というお話を何度も伺いました。
長崎出身の方から書いてもらった地図を握りしめて店頭に立ち止まって看板を見上げながら
店内に入って来られる光景を何度も目にしました。
わたくしはお客様から 包装紙の重さ を教わりました。

包装紙をリニューアルするにあたり
石丸文行堂の石丸忠重社長にお礼と報告に伺いました。
「うちのおじいちゃんの時代にそんなことがあったとは まったく知らなかった。
 うちに遠慮しなくていいから」 と快諾していただきました。
動物愛護 亀さんが可愛そう 自然との共生 美を求める文化 ・・・
これらのことを文字ではなくて絵で伝えることができる人に包装紙のデザインをお願いしたい
当時 お仕事を一緒にしていた東京のデザイン事務所勤務の井上里枝さんに相談しました。
「この難しい仕事ができるのは版画家の山本容子さんしかいない。紹介してあげようか
 でも いま あちこちから引っ張りだこの山本さんが川口の仕事を受けてくれるかどうかはわからないけどね」
ということでお話がまとまりました。
たかだか田舎の個人商店 たかだか包装紙に家が一軒建つほどのお金をかける
長崎浜町商店街の友人達から
「大きな印刷会社だったらどこにでもあるような包装紙のデザインを無料でつくってくれるのに」
と失笑されました。
包装紙を新しくして半年後に鼈甲の原材料の輸入禁止が決まりました。
10年後にはわたくしが体を壊して完全閉店しました。
オークションに出品させていただくようになり取引ナビを介して多くの方々から
「完璧な梱包.写真と同じラッピングの素晴らしさ.これほど丁寧なラッピングははじめて
 そして 写真よりきれいな商品 ‥‥」
という身に余るお言葉を頂いています。
皆様に感謝するばかりでございます。



 【商品デザインについて 】 
 店舗改築に携わった乃村工藝社東京本社の設計デザイナー氏が初めて長崎浜町の旧店舗を訪れたときの第一声】
 川口の商品には色気がある
 色気とは女性の胸のふくらみのようなもの
 女性は美しく輝きたいという想いで色気のあるアクセサリーに惹かれる
 男性は女性から好かれたいと想い色気のあるアクセサリーを好きな女性に贈る
 色気は装飾品の生命線
 川口の商品はあなたのおじいさんが描いた図案が元になっている
 あなたのおじいさんには会ったことはないけれど
 商品を見ていると おじいさんが考えていたことがわかるような気がする
 女性が身につける装飾品の真髄を熟知しておられた 
女性のことが大好きで 
女性からも好かれていた
 いい意味での 粋な人 そんな気がする。


【川口鼈甲店・ウインドウショッピング】
ウインドウショッピング という言葉があります。
店舗のショウウインドウを見てまわること
消費者にとってウインドウショッピングは購入準備のための行動
見てまわることが楽しみである
という定義付けがされています。
ロンドン.パリ.ローマ
ヨーロッパの主要都市のメインストリートのお店は閉店後も
店頭のショウウインドウがライトアップされている
しかし長崎市のメインストリート・浜町の商店街は閉店後は暗くなる
お店をリニューアルするのだったら
閉店後もナイトショッピングができるようにショウウインドウの明かりは消さないでほしい
という要望が東京出身の長崎新聞の記者の方からありました。
その提案をすべて反映させたお店をつくりました。
作家の永六輔氏.デザイナーの柳川光雄氏.べっ甲職人の佐々木彰一郎氏から
異口同音に言われました。
「職人は秘伝と言って自分の技術を人に伝えたがらない
 でもそれは間違っていると思う
 自分が苦労して創り上げたものは惜しげもなく人に伝える
 伝えることによって自分は日々新たに精進を重ねていく
 それが  ”ほんもの" なのではないか
 新しくつくった鼈甲製品をショウウインドウの真ん中に並べましょう
 そして閉店後に長崎の鼈甲屋さんたちがデザインを模倣しに来る
 お店が閉まっているから写真撮りもデザインのデッサンも自由にできる
 それで試作品を作ってみた
 でもどこか違う
 手の内は全部オープンに見せてもらっているのだけど
 どうしても同じものをつくれない
 それでこそ 川口が 鼈甲 における ブランド ということの証になる
 真似したければ真似してみな
 簡単に模倣できるようなものは商っておりません
 それが 粋 というものなのではないか」

五代惇著「老舗の商法・のれんに生きる東京の70店」というご本を介して
東京の季節は銀座和光のショウウインドウからはじまる
という言葉を識りました。
長崎の季節は川口のショウウインドウから ….
と長崎の人達に云って頂けるようになりたいという祈りにも似た想いで
装飾を施していました。


【長崎・軽井沢・川口鼈甲店】 
1997年春 郷土史研究史跡探訪グループ・長崎史楽会の会員の御老人が
西友長崎道ノ尾店で展示会をしていた会場へ訪ねて来られました。
「長崎新聞で川口鼈甲店 が 浜町のお店を閉店したことを知った。
私の先代は大正時代に船大工町の川口鼈甲店のお隣で鍛冶屋をしていた。
当時長崎の商人は目の前の商いで手一杯だった。
しかし川口の創業者は 
長崎で繁盛しても東京で認められなければ自分が商っているものは本物とはいえない. 
だから東京にお店を出す…  と言っていた。
当時 長崎の鼈甲は外国人が買っていた。
川口はその利益をすべて東京出店に費やした。
横浜市元町と東京市新橋にお店を出した。
長崎と東京は汽車で30時間以上かかっていた時代のこと
皇族方宮内省各宮家御用達になり.昭和天皇結納品の鼈甲化粧セットを納めた。
夏季には政府高官.各国の大公使が軽井沢に避暑に行くので軽井沢に出張所を設けた。
大正12年 関東大震災で東京.横浜の支店は全焼した。
太平洋戦争の最中 鼈甲の原材料は輸入できなかった。
昭和23年 川口の先々代は神田の旅館に宿を取り
長崎県庁東京出張所所長の渡辺氏と二人 管轄官庁の門前に座り込みをして
一か月通いつめることで官庁関係者が根負けしてべっ甲原材料玳瑁亀の輸入再開 にこぎつけた。 
川口の先々代がいなかったら 今現在 鼈甲は日本国内の店頭に並んでいない。
太平洋戦争という地獄を経て鼈甲細工は消滅しなかった。
あなたは自分のお店の閉店は自分のお店の歴史に過ぎないと思っている。
でもそれは違う。
川口鼈甲店の生き死には 鼈甲文化の生き死にそのものなんだ。
あの悲惨な戦争を生き延びてきた。
鼈甲の原材料の輸入禁止は日米の経済摩擦によるもの
太平洋戦争とは違って経済戦争で人の命は奪われない。
経済戦争なんかで負けてはいけない。 ここで終わってはいけない。
このことをあなたに伝えなければ私は死んでも死にきれない。
今 こういうことをあなたに伝えることはとても残酷なことだと思う。 
でも ここで諦めないで頑張って欲しい 」
お酒の勢いを借りてお話をしに来てくださったその御老人の言葉が
わたくしの頭の中から離れることはありませんでした。

1993年 永六輔さんのラジオ番組宛に鼈甲についての思いを綴った葉書を出しました。
それがきっかけで 永六輔さんと親しいお付き合いをさせていただくようになりました。
年に数回お目にかかってお話をさせていただいていました。
2005年3月 近況報告の手紙を書きました。
ラジオ番組や講演会で永さんがわたくしのことを語ってくださいました。
「長崎で 川口 といえば 鼈甲 です。 
長崎の目抜き通りの真ん中に堂々としたお店を構える押しも押されもせぬ老舗です。
色々なことがありました。お店はなくなりました。
川口は体を壊しました。
いま  川口は転地療養のため軽井沢で暮らしています。
そして体調が良くなってきました。
僕も若い頃 体がとても弱かったんです。
信州小諸・軽井沢で疎開生活をしているときに元気になりました。
だから信州での転地療法が身体にいいということはよくわかるんです。
身体が弱い人が信州で暮らすとみんな元気になるということではないのですが,
元気になった川口は軽井沢で鼈甲のお仕事を再開しようとしているんです。
でも 今現在 お店はない。
お店はないけど 何かをしようとしている。
いまはまだ 鼈甲といえば 長崎 です。
でも 近い将来 日本じゅうの鼈甲愛好者のなかで
べっ甲といえば軽井沢 と云われるようになると思います。
だって 僕の友達である川口が軽井沢で鼈甲のお仕事を再開したのだから。
皆さんこのことを 頭の隅に留め置いていてください」
周りの人達から言われました。
第一級の文化人である永六輔からこれだけのエールを贈ってもらっていて
決起しなかったら漢 (おとこ) じゃない…」
そして思いました。
「身体が壊れているのだから そんなことを言われても困る。
 何より自分はそれほどの人間ではない」
以後 永さんとの距離をあけました。
それでも永さんの言葉はいつも心の奥で響いていました。 

25年以上のお付き合いのある長崎在住の女性の友人がいます。
雑誌の編集 全国誌の旅行ガイドの長崎版の制作に携わっている人です。
2017年12月30日 お互いの近況報告を兼ねて2時間ほどお電話で情報交換をしました。
「長崎といえば カステラ そして 鼈甲
鼈甲 といえば 長崎
川口鼈甲店が長崎の街からなくなってもうすぐ20年
鼈甲といえば長崎 というんだったら
長崎の鼈甲屋さんには川口のオークションの商品と同等もしくはそれ以上の商品が並んでいなければおかしい。
でも長崎の鼈甲屋さんの商品には
いまどき こんなもの誰が買うの…? というものしか並んでいない。
長崎といえば鼈甲  鼈甲といえば長崎
それは川口鼈甲店のべっ甲のことだったような気がする。
Yahooオークションの川口の鼈甲製品は20年以上前のもの
それなのに いま 長崎のどの鼈甲屋さんに並んでいる商品よりも新鮮な輝きがある。
オークションは それなりのものをそれなりの安い値段で買うためのもの
でも 川口の オークションはそうじゃない。
次から次に目新しい商品が出品される。
大げさな言い方をすると
世界の名画をオークションで落札して入手する
そういう異質の空気感がある」 
と言われました。

それぞれの人たちのそれぞれの言葉がひとつの流れとして繋がりました。
鼈甲の原材料の輸入禁止を日本政府が決めて四半世紀の時間が流れました。
それでも 鼈甲製品を身につけたいと思ってくださる方々がおいでになることで
ひとつの文化の華を紡いでいくことができている。
オークションに入札してくださる方々への感謝
それがすべてでございます。
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