注意事項
- 易碎品限空運,非易碎品可使用海運。
- 易碎品限空運,非易碎品可使用海運。
google & Excite翻譯僅供參考,詳細問題說明請使用商品問與答
文化勲章 楠部彌弌 『黒釉花瓶』 共箱付
パリ万博での受賞をはじめ国内でも帝展や日展で多大な活躍を示し、陶芸という工芸分野を芸術の域まで高めて、文化功労者・文化勲章を受賞し、現代京都陶芸の最高峰として今も評価されている偉大な陶芸家【楠部彌弌】作。
幅広い施釉技術を操り、多技多彩な作風を生み出した【楠部彌弌】が生み出す高い完成度を誇る作風からは、気品が感じられます。
本作『黒釉花瓶』は、気取らない端正な造形ですが、巧みな技術により施された釉は、透明感と深さを感じ、抜群の存在感を誇っています。状態は良好で、未使用のように思われます。気になる傷や汚れは見当たりませんでしたが、見落としなどもあるかもしれませんので、写真をよくご覧の上、入札ください。
商品受け取り後すぐに、受け取りボタンを押してくださる方のみ、ご入札ください。
※出品物についての箱はあくまでも作品の付帯品とお考えください。箱のコンディション等によるクレームは一切お受け出来ませんので予めご了承ください。
【作品サイズ】口径:約16.8cm 高さ:約20.5cm
【年鑑参考価格】
美術年鑑には,21.2cm×21.2cmで2000万円と掲載されています
楠部 彌弌(くすべ やいち、1897年(明治30年)9月10日- 1984年(昭和59年)12月18日は、日本の陶芸家。京都市東山区生まれ。本名は彌一。釉薬を磁土に混ぜて何度も塗り重ね、独特の深い色あいを生む「彩」の技法で知られる。
略歴
1897年(明治30年)楠部貿易陶器工場を経営する楠部千之助の四男として生まれる。1912年(明治45年)京都市立陶磁易碎品限空運,非易碎品可使用海運。 器試験場付属伝習所に入所し、1915年(大正4年)に卒業する。1918年(大正7年)八木一艸、河村己多良らと赤土社を結成する。同社は1923年(大正12年)に自然消滅するが、翌年彌弌は「百仏飾壷」をパリ万国博覧会に出品し、受賞。1927年(昭和2年)八木一艸らと「耀々会」を結成する一方、帝展初入選を果たす。1933年(昭和8年)帝展に出品した「青華甜瓜文菱口花瓶」が特選を受賞し、彌一を彌弌と改名する。1937年(昭和12年)パリ万博で受賞。
戦後の1948年(昭和23年)京都工芸作家団体連合展を組織し、日展をボイコットしたことがあったが、1951年(昭和26年)芸術選奨文部大臣賞を受賞した。1953年(昭和28年)青陶会を結成して指導にあたるとともに、伊東陶山らと搏埴会を結成する。1954年(昭和29年)日本芸術院賞を受賞。1962年(昭和37年)日本芸術院会員となる。
1969年(昭和44年)京都市文化功労者、1972年(昭和47年)毎日芸術賞・文化功労者、1975年(昭和50年)京都市名誉市民、1978年(昭和53年)文化勲章受章。1982年(昭和57年)、日本新工芸家連盟会長に就任。
1984年(昭和59年)12月18日、慢性腎不全のため京都で死去。従三位に叙せられる。
【発送方法について】
発送は、着払いゆうパックを予定していますが、諸事情により、変更する場合があります。あらかじめ、ご承知ください。なお、発送までの日数を商品代金支払い手続き後、3〜7日としていますが、可能な限り早く発送させていただきます。 >