【 サイズ 径 約 8.2 cm × 高さ 9.2 cm 】
玄明のひとりごと
≪ 神仏(創造主)の有無≫
神なる存在は、有るか無いか
現実には、有るという意見と、無いという意見、そして、判らないという意見に分かれる
事実は、証明不可能である以上、判らないでも正解だろう
だが、真実は、どちらかにある
この世界を見間違えるとその上に建つ建物の寿命は違ってくる
立派に見えた建物も知らずに砂上に建てたなら、簡単に崩れ去ることもある
真理を求めるべきだが
真理を求めるなら科学的に見る努力が要る
科学的に見るなら客観性と論理性は外すことが出来ない
ヨコ軸とタテ軸で見ることだ
真理を得るために白紙の上に対立する二つの意見を並べて見ることだ
先入観を入れずに考えることだ
現実を見て、事実を集め、真実を探す過程で真理が見えてくる
現実には多様な意見が有る
神(創造主)は存在しない 神(創造主)は存在する
事実として
・証明不可能 ・証明不可能
・無神論者の存在 ・宗教家の存在
・地上の混沌とした現状や多くの人々の ・生命体にも遺伝子という設計図がある
不幸がそのままになっている現状がある ということは設計者が居るということ
・生命の存続や宇宙の存在の中に
奇跡の連続を思わせる事象が在る
それらが真実なら
・人は偶然にサルから進化した ・神は願いを込めて生命を産み出し魂を創られた
・それぞれの正しさが中心となる ・心の中まで観られている可能性があり隠し事は出来ない
・宗教は、大衆の麻薬であり ・「正直は一生の宝」ということわざが成り立つ
金儲けの手段であり ・宗教が不可欠の教養となる
心の弱い者たちの避難所でしかない ・神仏の願いがどこに有るのか忖度する必要がある
・宗教者が、麻薬中毒者であるならば
中国共産党の宗教弾圧にも正当性がある
どちらの意見にしろ、現実は、
有るにしろ、無いにしろ、そのように信じているだけのこと
されど、真理は一つ
この前提条件は、人生観に大きな影響を与えるだろう
世界観を間違えると、いたる所で間違った判断をしてしまう事になる
私は、「あの世」にしても「神(創造主)」の存在にしても信じている
その理由は
粘土から器を作る時
絶対必要十分条件は、作ろうという思いが不可欠な事
偶然に突然変異と自然淘汰を繰り返し適者生存して完成するなど有り得ない
それが生き物であるならなおさらだ
空を飛ぶ生き物が、どうやって飛べるような体(ハード)と技術(ソフト)を獲得したのか
偶然になど有り得ない
たまたま飛べるように進化などしない
色んな犯罪や色んな不幸を創り出している人達の認識はどうかと考えると
どう考えても死後の世界にしろ神仏にしても「無い」という考えの人達が多そうだ
もしくは、考えたことも無いのかもしれない
神をも恐れぬ所業という言葉が有るが
無いモノを恐れることなど出来ないこと
ただ、宗教者という人達であっても
ご利益信仰の人も多そうだ
「神仏の願い」を考えず「自らの願い」のみ
神社仏閣にて手を合わせたから
教会にてひざまずいて祈ったからといって
何らかの救い(御利益)は有るのだろうか
高貴なる神の願いが一部の信者のみに限定されるような
そんな小さなもので有るはずは無い
道を踏み外している子や孫の事が気にならない親が居ないように
究極の神は、悪人にも善人にも
「愛」の念いは注がれているだろう
悲しみの眼差しで観ておられることだろう
しかし、その度が過ぎるようなら天罰・神罰も有りえることだ
今、起きている災いも因果応報と言われるように
何らかの原因と結果の連鎖の上に起きているのだろう
あの世も神も認めず、信じず
宗教を自らの利得の為に使うような人たちが地上に増えてきた結果
神なる存在を無視した結果
選挙違反でもなんでもやれる
結果を出さなければ意味が無い
そんな世界を神仏が放置されるわけが無い
・・・・・・・参考 「フラクタルの森 玄明 陰陽学」 幻冬舎 刊
商品名稱 : | ■ マグカップ ■■ フラクタルの森 備前焼 玄明 ■ |
備註 : | |